「えほんをよむかい?」第11回

2013年の締めくくりは、12月21日土曜日の午後、「やかまし村」の永井さんお風邪のため、
高野第三住宅集会場の和室にて、大人6人、子ども6人で開かれました。

今回担当してくれたのは近森南さん。
昨年春から職場復帰して忙しいにもかかわらず、ぜひやるよ!と引き受けてくれました。

 

選ばれた絵本は
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『はなのすきなうし』(岩波書店)
マンロー・リーフさく、ロバート・ローソンえ、光吉夏弥やく

はなすきうし

なかは縦書き・モノクロの、ちょっと落ち着きめの絵本。
アメリカで1936年にかかれたものです。

スペインのある牧場でくらす主人公のフェルジナンドは、
子どものときから、ひとり、しずかに花のにおいをかいでいるのがすきな牛。

まわりの子牛たちは闘牛に出たい!と思っているのに、
フェルジナンドはいつもひとりで花のにおいをかいでいます。

けれど、ある日の小さなアクシデントから、
フェルジナンドが闘牛に選ばれて・・・!?
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読後、さいしょに話題になったのは、それぞれの子ども時代。
どんな子どもだった?という話から、何をおぼえているかの”記憶”におよび、思い出される”最初の記憶”はどんなことかなど、幼き日のじぶんをギュゥッと思い出してみる時間になりました。

でも、実際に多かったのは、「あんまり思い出せない~」という声。参加者の多くは幼い子たちを抱える子育て真っ只中。じぶんのことよりも、目の前の我が子の日常が記憶にあたらしいのでした。

よその子との興味関心の違いや、保育園や幼稚園、学校などまわりとのペースの違い、感情やことばの表現の違いなど、さまざまな違いや他者とのかかわりは、日々どうしても気になります。この子たちが、この世界とのつながりをこれからどうやって紡いでいくのか、どんな風に生きていくのかと思いを巡らしました。

はたしてフェルジナンドのように、
じぶんのすきな生き方をあるがままに貫いて、しあわせに暮らすことができるのかと、子どもたちのことも、じぶんじしんのことも、ちょっぴり案じてしまったり。

ふぇるじなんど

 

『はなのすきなうし』が日本で翻訳出版されたのは1954年。
原作は約80年、翻訳は60年前からの絵本ですが、初めて読んだ参加者も多く、担当の南さんも、わたし自身も、大人になってから出会った絵本のひとつでした。

けれど、この絵本がつたえてくれる何かは、ちっとも色あせることなく、子育て世代にはまたひとしおな1冊。

作者のマンリー・ローフは
「フェルジナンドが花のにおいをかいでたたかわないのは、よい趣味をもち、またすぐれた個性にめぐまれていたからだ」といっていますが、はたして!?

 

個人的には、「これがすき」、「これをしていたらしあわせ~」というものをもっていたい、子どもたちももっていてくれたらいいな~とつよく感じた回でした。

 

それにしても、当日の録音を聞いていたら、子どもたちの泣き声、叫び声、食べる音などなどが途切れることなくつづいていました。でもその間もなんとかして(なんとしても?)話しつづける大人たちの声・・・。この日のことを覚えている子がいたら、なんて語るのかな~。

 

(あ)

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